HOME サイトマップ  
日本で初めて地震を体験しました
被災地で写真を撮ってきました
新潟県中越地震日記

2004年10月23日夕方
 ガタガタ・・・ガタガタ・・・叫び声「アー地震地震!」子供たちと父兄が悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみこんだ。体育館のボルト、ナット類、コンクリートの柱と窓のきしむ音。私はやっと立っていた。
 このときとても時間が長く感じた。体が揺れ、気持ちは何年もの長さを感じるほどの時間でした。電灯は幸いにも消えなかった。バングラデッシュ人の私には初めての経験です。

 よい天気でした。晴れ上がり、夕焼けが綺麗で妻、美砂子と一緒に与板教室に5:30に出かけました。今日は土曜日、与板の日です。与板中学校の武道場で行います。明日24日は与板中学校の文化祭です。体育館にはいすが並べてあり、ステージで演劇のリハーサルの仕上げをやっていました。
男の子が女の子の人魚姫の形をして、楽しそうにしていました。
私は、女の子ばかりだと思っていたので、男の子とわかりビックリしました。周りの人と大笑いしました。

 空手の時間となり、私は両腕を上げて「みんなここに集まって黒帯は前に出て」と声を出しました。私の横を、遠藤さんと妻が行くところだった。その瞬間、ガタガタガタと聞こえました。
地震だった。みんなしゃがみ込んだ。5:57だった。地震が収まり、みんなに「大丈夫です!空手をやっているから地震なんか怖くない!」と言いました。下にいる中学生のところに向かい、「大丈夫か?」と声をかけると、「私たちは大丈夫です」といい、外に向かい走り出した。佐藤Aさんのお父さんが小さいTVを持って走ってきた。そのとき、我に返り、「私家に帰ります。家にいる人が怪我していないか心配で。」といい、帰った。私は、Y、N、Kかちゃんら、子供たちが震えていた。5歳Mりちゃんが、「お母さん」と叫びながら泣いていた。

 TVの情報を聞いていた。そのとき、何人かの親が走ってきた。5,6年の男子は、「怖くない」と言いながら走り回っていた。震度5弱との報道だった。バングラデッシュ人の私は初めて地震を体験した。私としては、子供たちをパニックにさせないため、元気付けの言葉をかけ続けた。2回目がきて、震度6弱のゆれで、1回目よりももっと強かった。YNが、「ママ帰ろう。こんな所で死にたくない。」と言ってた。
 母親たちが何人か走って上がってきた。「みんなこっちにきて」と言った瞬間みんな立ち上がった。「外に出たほうがいい」と言った。「今日の練習は中止します。みんな安全に帰ってください!」大声を出しながら下に向かって走った。
 私は、下に迎えに来ていた父兄に子供を返し、きていない子は頼んで、「安全に帰って」と声をかけた。中ノ島の瀬野たくま、今町のKかちゃんと、Hちゃんを見ていた。そのとき、妻が車で迎えに来ました。帰ったはずの妻が何で来たんだろうと思ったが、とにかくうれしかった。セブンイレブン店内

 与板橋を渡った瞬間電灯が消え、真っ暗な中中之島のSTを送って行った。近くまで行くと、母親が走ってきてたくまを連れて行った。

 今町のKちゃんとH君を送っていたとき、行き違いになることを心配していた。家の近くまで来るとみんな家の外に出ていた。母親は、H君を抱きしめ泣き出した。最後にKかちゃんを送り届け、やっとほっとした。私は家のSのことが心配だったが、今まで道場の子供たちのことを優先してきた。 家の前の道路には、みんな出ていた。車をゆっくりと走らせ、ライトに照らされているSが見えた。「大丈夫か?」と声をかけると、「大丈夫」と返事が返ってきてその瞬間ほっとした。私が家に入ろうとすると、妻が大声で「絶対ダメ!!」と言った。余震が危険なので入らないほうがいいそうだ。家族全員が無事で安心した。次のことを考えて私は一人でセブンイレブンまで走っていった。セブンイレブンだけ電気がついていたのでびっくりした。しかし食べ物が何もなかった。あるものだけ5千円分くらい買ってきた。
今町小学校
道中今町中学校のグラウンドにライトがつき、次々に人が集まってきた。道路は陥没していた。その向こうに新幹線が止まっていた。人が乗っているのが見えた。
それからの約1週間、建てたばかりの車庫での生活が始まった。
produced by PC-you援隊 2004/11